沿革

1973年に愛媛県松山市で創業。1984年には株式会社ESKを設立しました。その頃、日本の縫製業界では、職人たちの高齢化と人手不足が顕著になっていました。そのため、日本で縫製業を営んでいくことに大きな不安を感じていました。

そこで、1990年に中国の天津市に、独資会社(※)として天津愛津服装有限公司(アイシンアパレル株式会社)を作りました。当時、日本の縫製会社で中国生産を行っているところはほとんどなく、草分け的な存在でした。

また、「多くの日本人女性に喜んでいただけるパンツづくり」にこだわってきましたので、そのポリシーを維持すべく、合弁会社(※1)ではなく独資会社(※2)としての会社設立にもこだわり、関係各所の皆さまのご協力も得ながら何とか設立にこぎつけることができました。

※1合弁会社とは中国企業と共同出資で設立した会社。当時は一般的だった。
※2独資会社とは自己資本だけで設立した会社。その当時は法律も十分整理されていなかった為、殆ど前例が無かった。設立には大変苦労するが、設立出来たら、会社運営は自由度が高かった。

アイシンアパレル株式会社の設立後、日本から中国に生産拠点を移したわけですが、日本に拠点を構えていた当時から大切にしてきた「日本人女性に喜んでいただけるパンツづくり」にはこだわりたいと考えていました。また、ただ発展させるだけでなく、日本のモノづくり企業として、私含めスタッフが誇りを持てる会社づくりにも尽力してきました。

具体的には、2000年には消費者満足度を追求する国際標準の会社としてISO9001の認定を取得し、2002年には環境に配慮しながら社会に貢献する会社としてISO14001の認定を得ました。また、2004年にはスタッフの福利制度の充実を図る会社としてOASAS18001の国際認定を受けることもでき、スタッフの安全・安心に貢献する会社として評価を頂きました。

これらの取り組みなどもあってか、会社は順調に発展し、社員数は1,200名を超えるまでに成長しました。

このように順調に成長していたアイシンアパレル株式会社ですが、時とともに、中国でも人手不足が問題となり始めていましたので、将来を展望して、2010年にラオス・ビエンチャンに新しい生産拠点を持つべく、新会社としてアイシンラオ株式会社を作りました。中国・天津とラオス・ビエンチャンの2拠点・2工場での生産体制とし、会社全体の安定と発展を目指したのです。

ところが、その後、想定していた以上のスピードで中国の人手不足が進みました。それに加え、2013年から2015年に急速に円安が進んだことが相まって、中国での生産維持が困難になりました。苦渋の決断ではありましたが、2015年にアイシンアパレル株式会社は、本部機能だけを残して生産現場を閉鎖する決断をしました。

それ以降、生産機能はラオス工場であるアイシンラオ株式会社に移行し、現在に至っています。

一方、生産機能とは別に、パンツのデザイン企画などの機能については、日本のマーケット・ニーズの急激な変化に対応すべく、2017年にアイシンアパレル・ESK東京サテライトオフィスを東京・人形町に開設しました。

日本人女性が求めているパンツの研究を行うなどラボ的な役割を持たせつつ、関係会社の皆さまと密にコミュニケーションを取りながら、さらに多くの日本女性に喜んでいただけるよう日々努めています。

アイシンアパレルグループ 年表

1973
愛媛県松山市にて操業
1984
株式会社ESKを愛媛県松山市に設立
1990
テンシンアイシンアパレル株式会社を中国・天津に設立
2008
アイシンラオホンコン株式会社を香港に設立
2010
アイシンラオ株式会社をラオス・ビエンチャンに設立
2017
アイシンアパレル・ESK東京サテライトオフィスを東京・人形町に開設

現在に至る